今日は、国を再生するためにも、結局は国語力が必要だよというお話です。
ということで、今日の1冊。
藤原正彦さんの「祖国とは国語」です。
- 1.今の日本がダメなわけ</23>
- 2.なぜ小学校の国語がカギとなるのだろう?
- 3.数学と論理
- 4.日本人の誇る「もののあわれ」
- 5.愛国心と祖国愛
- 6.忍耐力不足
- 7.これからの日本人に必要なこととは
1.今の日本がダメなわけ</23>
この本の初版は平成18年です。
今から10年以上前に書かれた本ですが、日本の現状はそこまで好転していません。
今の日本が危機的状況にあるが、どうすればよいのか??
日本はいま危機にある。外交ではアメリカ軍によるイラク攻撃、北朝鮮による核開発や拉致問題など難題を抱え、経済では十年にわたる不況に苦しんでいる。外交ではひたすらアメリカに追随するばかり、経済では次々に改革が打ち出されるものの一向に功を奏さず、財政赤字は増大し失業率も上がり続けている。国家財政破綻までが囁かれている。
教育に目を転じても、経済と同様、改革という改革が裏目に出ている。特にゆとり教育路線が十年ほど前に本格化してから、生徒の学力は着実に低下し続けている。ゆとり教育が解決を目指した落ちこぼれ、いじめ、不登校、学級崩壊なども一向に減る兆しを見せない。
出典元 『祖国とは国語』藤原正彦
唯一、失業率だけは改善されていますが、日本の現状は好ましいとは言えません。
じゃあ、なぜこんなダメな日本になってしまったのか?
それは、対処療法ばかりして、根本的な治療をしてこなかったから。
では、その根本的な治療とは何なのか?
それは教育を立て直すことである。
具体的に教育を立て直すためには、何を中心に考えるべきなのか?
それは、小学校の国語である。
というところからこの本は始まります。
2.なぜ小学校の国語がカギとなるのだろう?
なぜ、国の再生のために、小学生の国語が重要になってくるのか?
次のように書かれていました。
国語は思考そのものと深くかかわっている(思考する際に言語が使われる)
↓
語彙力が低いと直線的な考え方しかできないだろう
↓
母国語の語彙が豊富だと、情緒的に豊かである
↓
語彙力を増やすには、文法ではなく漢字である。
↓
漢字の勉強は小学校が一番適している。
日本人にとって、語彙を身につけるには、何はともあれ漢字の形と使い方を覚えることである。日本語の語彙の半分以上は漢字だからである。これには小学生の頃がもっとも適している。記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を逃さず、叩き込まなくてはならない。強制でいっこうに構わない。
漢字の力が低いと、読書に難渋することになる。自然に本から遠のくことになる。日本人初のノーベル賞をとった湯川秀樹博士は、「幼少の頃、訳も分からず『四書五経』の素読をさせられたが、そのおかげで漢字が恐くなくなった。読書が好きになったのはそのためかも知れない」と語っていた。国語の基礎は、文法ではなく漢字である。
読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。
出典元 『祖国とは国語』藤原正彦
日本が現在のような危機的状況に陥ったのは、選挙民である国民や政治家たちが大局観を失ったことにあるのではないか?
ということです。
文学・芸術・歴史・思想・科学・・・
これらについて、語ってみろ!といわれても、全然語れないから、藤原さんのおっしゃる通りって感じです。
文学作品を読んでも、「実用的じゃないやん」って思ってしまう。
あ~、面白かった!で終わるやん!
それなら実用書を読みたいよ。
・・・という考えを改めようと思いました。
損得で物事考えてしまうとこがあるけど、実際は実用に役立たぬ教養こそ、健全な大局観には必要不可欠だったということなのですね。
そして、日本人の健全な大局観を育てることが再生のカギであり、そのためには小学生の国語教育に力を入れるべきなのです。
3.数学と論理
よく、学生の頃、文系の友達と言っていました。
「数学ってさ、答え一つしかないパズルみたいで、味気なくて嫌だよね。国語だったら、答えは一つじゃないもん」
味気なくて嫌なのは、単なる訓練不足でしたにゃ。
数学には公理という万人共通の規約があり、そこからすべての議論は出発する。現実世界には公理はない。すべての人間がそれぞれの公理を用いていると言ってよい。
現実世界の「論理」とは、普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、というきわめて頼りないものである。そこでは思考の正当性より説得力のある表現が重要である。すなわち、「論理」を育てるには、数学より筋道を立てて表現する技術の修得が大切ということになる。
出典元 『祖国とは国語』藤原正彦
国語だったら、答えは一つではない。
なので、相手を納得させるスキルが必要であり、そのためには語彙力や表現力が必要になってきますよってことですね。
じゃあ、その語彙力や表現力のほかに、「論理」によって相手を納得させるために必要なものは何か?
それは、十全な情緒である。
それが不十分だと、単なる自己正当化になってしまう。
でも情緒を育てるためには、実体験だけでは決定的に足りない。
やっぱり、時空を超えた世界を知るために、読書をするしかない。
ということのようです。
「説得力ある表現」「情緒」「論理」「読書」というキーワードがつながります。
4.日本人の誇る「もののあわれ」
日本人は、理論で自己主張をすることが欧米人に比べ苦手だと思います。
「空気読めよ~」って空気に、嫌でも気付くからです。
逆に欧米人は、日本人の「もののあわれ」を理解するのが難しいそうです。
朔太郎や犀星などの詩まで含めると、この情緒は日本のお家芸とも言える。国語の時間にこれらを暗誦し、美しいリズムとともに胸にしまいこむことが望ましい。
伝統的に、この情緒を育てるうえでの最大の教師は貧困であった。
出典元 『祖国とは国語』藤原正彦
経済的に豊かになっても、失いたくないものも、あるものですね。
例えば、宮崎駿監督の作品に、どこか懐かしさみたいなものを感じてしまうのも、人間としてあるべき姿にこだわる姿勢が、失われつつあることを現代人が感じているからかもしれないと思いました。
貧しくても、家族の絆が深く、人とのつながりが大切なものであった時代には例えかえることはできなくても、文学作品を通して感じることはできます。
他にも、家族愛や郷土愛、祖国愛や人類愛もぜひ育てておかねばならないものだそうですが、これも文学を読むことで育てることができます。
ポイントは、「子供のうちに読む」ことです。
大人になってからでは悲しいことに、遅いそうです。
5.愛国心と祖国愛
タイトルでもある、祖国とは国語。
英語を学ぶより、中国語を学ぶより、日本人がまず学ばなければならないのは日本語です。
祖国とは国語であるのは、国語の中に祖国を祖国たらしめる文化、伝統、情緒の大部分が包含されているからである。
世界のボーダーレス化、グローバル化が急速に進んでいる現代だからこそ、日本人としてのアイデンティティを確立させなければならない。
現在の政治・経済・外交における困難の大半は、祖国愛の欠如に帰着すると言ってさして過言ではない。
祖国愛の欠如・・・
戦争に敗れて、日本人は祖国愛を持たないよう教育されてきました。
じゃあ、やっぱり、今の日本の本質的な危機の要因は、戦後の教育ってことじゃないか・・・
明治大正から終戦までの国定教科書の豊饒に比べ、よくぞこれだけやせ細った、と思わざるを得ない。国定教科書には、少々の勇み足も時折あるが、少なくとも感動があった。格調もあった。美しい情緒を育むのにふさわしい読み物が多くあった。
なんか、読みながらこの人は本当に数学者か!?って気がします。
本職は作家じゃないの?
GHQは、漢字が難しすぎるとかタイプライターにのらない、などの取るに足らぬ理由をつけたが、真の理由はもちろん、「日本が二度と立ち上がってアメリカに歯向かうことのないようにする」という大方針のため、文化の中核を破壊してしまおうとしたのである。
出典元 『祖国とは国語』藤原正彦
戦争を肯定するつもりではありませんが、戦時中の特攻隊の存在はアメリカ兵にとって恐怖だったそうです。ノイローゼになる兵士が多かったそうです。
国のために命を懸ける日本人の精神性を、アメリカは恐れた。
なによりも、この精神性を破壊しなければアメリカが優位に立てないことを分かっての、文化の破壊です。
6.忍耐力不足
数学嫌いのわたしですが、この本には次のような一文があります。
算数と数学の教科書を見た第一印象は概して「つまらない」である。
へへっ
数学者の先生がそう言うなら、わたしが数学嫌いになったのも仕方ない。
基礎基本に徹することに気をとられ、全体を互いに切り離された断片の集まりとし、数学の魅力である一般性や意外さ、豊かさ、美しさを根こそぎにしてしまった。
数学を専門にしている人は必ず言いますよね。
数学は美しいと・・・
でも、この数学嫌いには理由があるそうです。
算数・数学を理解し数感覚や図形感覚を育てるには、退屈な計算練習や演習問題を粘り強く考えたりすることが必要で、それには多少の忍耐が要求される。
つまり、忍耐不足、訓練不足から数学嫌いになってしまったということらしい。
ちょっと自覚してましたけど、そういうことですね。
自分の子供には、漢字と計算はしっかりと教え込もうと思ったのでした。
7.これからの日本人に必要なこととは
社会のグローバル化、ボーダーレス化、情報化の中で日本人が大切にしなければならないこと。
それは、自分たちのアイデンティティを確立し、情報に流されることなくその本質を掴み、大局観をもつことです。
それができるようになるためには、国語力が必要です。
指導層が国益を追うのは当然だが、追い過ぎると、肝心の祖国を傷つける。戦前のように祖国を壊しさえする。国益主義は暴走し、国益を守るに足る祖国そのものを台無しにしやすいから、それを担ぐ指導層は、それが祖国の品格を傷つけぬよう節度をもつ必要がある。国民がそれを冷静に監視すべきことは言うまでもない。
出典元 『祖国とは国語』藤原正彦
現在のアメリカを見ているとわかる気がします。
祖国愛と国益主義を峻別することも必要です。
わたしはまだ、ここが一緒になっています。
健全な大局観を作れていないということでしょうか?
パソコンのプログラミングを小学校の頃に導入して、理論を身につける。
それも大切かもしれませんが、わたしたちがまず身につけなければならないもの、それは国語力なのだということがわかりました。
日本人として、何が問題なのか、どういう立ち位置でいればいいのか、迷ったときにぜひおすすめの1冊です。
ページ数は少ないですが、内容がなかなか濃い、と思います。
読み書きソロバンを大切にするぞ~!!w
では、また~!!