この本は人にすすめられて、読んでみたのですがちょっと難しい気がしました・・・
黒川雅之さんの「八つの日本の美意識」です。
黒川雅之さんは、日本の建築家です。
目次
1 微 一期一会
細部に全体がある
内と外の等質性
日本の都市は集落である
室内から都市を描く
野生的身体感覚
2 並 日本的デモクラシー
八百万の神
絶対と相対
3 気 気と気配
柱は気配の建築
ヴァギナとペニス
慈悲
気配がつくる日本の建築
4 間 気配と間
陰と陽
並列な細部
力学的空間
間の妖しさ
5 秘 秘すれば花
「秘」と「間」
逆光が陰翳を華麗にする
「秘」の中の期待
6 素 そのままがいい
素材と形
一枚のシート
原型
7 仮 自然への絶大な信頼
融通無碍
日本の家屋は建築ではない
反転
西洋と裏腹の美意識
8 破 人技を越える
序破急・守破離
破滅と秩序
人の心と体を心地よくするもの、それが美意識
「美意識が高い」
最近では、この言葉は外見に磨きをかける女性に対しての称賛として使われています。
けれど、それは中身を伴うことなく、一人歩きしている言葉のようにわたしは感じられます。
本当の意味で美意識とは、何でしょうか?
美しいとか、気持ちがいいとか、どきっとしたとか。理屈ではなく、人の心と体を心地よくするもの、それを美意識と言うことができるのですが、自分の中を見つめる作業をとおして、私は、日本人が物事を判断する非常に大きな規範になっているのがこの美意識なのだということに思い至ったのです。
日本人は美のために生きている。気持ちいいことのために生きている……この発見は私にとって衝撃的なことでした。
出典元 黒川雅之「八つの日本の美意識」
日本人の判断基準になっているものは何か?
それは、神や信念や哲学ではなく、恥の意識=美意識である。
日本人は、西洋の世界観を妄信しないで、深部にあるアイデンティティを美意識の中に見出さなければならない。
というところからはじまります。
微細なるもの、並列的に
細部にすべてのものが含まれるという考え方が日本人の思想の背景にあります。
それは時間軸にも現れているし、建物、庭にも現れている。
今という一瞬に、過去も未来も含まれている・・・・・・これが「微」の神髄です。
例えば、数奇屋。
亭主の座という一つの視点から世界の全体を見渡せるように、放射線状に視線が広がるようにできています。
この一点、亭主の座という一点から世界が串刺しにされている。その一点からの風景として、世界が取り込まれているのです。一点から世界を見つめるということはそのまま、逆に世界を自分の一点に収斂させていることにつながるのです。
出典元 黒川雅之「八つの日本の美意識」
微細なものに全体が含まれるという逆転的発想から生まれた日本独自の文化。
俳句、箱庭、盆栽、幕の内弁当、短縮語・・・
前に読んだことがある本に書かれていたが、枯山水の美しさがわかるのも、日本人ならではらしい。
砂や石を水に例えて、その想像力をもって美しさを楽しむ。
世界が小さなものの中に閉じ込められ、また取り戻される。
世界を濃縮し、時間を濃縮する。
さらに、日本人の美意識は、哲学や宗教より、身体感覚を重視するものである。
西洋のヒューマニズムは人類愛をうたいます。けれど、日本人にとって人類を愛することは抽象的で実感がありません。けれど、目の前の人、昨日会った人を愛することはできます。日本人は、人類愛より、一人ひとりに恥じない生活をすることのほうが大切だと感じているのです。全身で感じ、実感が持てることが大切なのです。
出典元 黒川雅之「八つの日本の美意識」
これは、非常によく実感できるところです。
わたしは愛が地〇を救うなんとかテレビはあまり見たりしません。
次に重要なのは「並」の関係。
日本の美意識の全体が微細なものに視座をおき、そこからすべてを発想し、その微細な部分に全体が包括されていると考えているから、細部の集合だけで全体性が生まれる可能性を持つのです。人でいえば、一人ひとりがお互いに気遣いし合うのだから、支配がない平等な関係でも調和がとれるのです。
出典元 黒川雅之「八つの日本の美意識」
日本は不思議な国です。
仏教徒でも、クリスマスはパーティーをするし、お正月は家族で初詣へ。
これといって信仰が強いわけではないのに、規律を守る国民性。
宗教で内戦がおこるなんてことはありません。
この国民性はなぜなのか、理由を海外の方に説明しにくいところです。
けれど、長い間外国と深く関わりを持たずに秩序を保ってきた日本ならではの意識が深く根付いているのでしょう。
神などいらない、哲学もいらない。人が好きだから大切にする。他人に恥ずかしくないように生きるという、素朴で、しかし本質的な調和が「並」の美意識です。
出典元 黒川雅之「八つの日本の美意識」
「気」と「間」
「気が遠くなる」「気が咎める」「気が多い」・・・
これでもか、というほど「気」という言葉が日本で使われていますが、「気」というのはどのような感覚なのでしょうか?
日本人は、人でも物でも、人自体や物自体だけではなく、「その周辺の空気をふくんで人であり物だ」と理解しています。
日本の家屋は、複数の柱や梁が寄り集まって、その気配が重なり合ってできているのではないかと考えています。「気」を発している柱や梁が、その「気」を共鳴させて、柱と柱の間に「間」をつくるのです。日本の家屋は柱の「気」とそれがつくる「間」そのものだったのです。
出典元 黒川雅之「八つの日本の美意識」
・・・なんか、こうやってみると、その国の思想は建物にも表れるし、芸術にも表れるものなんだなぁ。
日本では「茶の間」「仏間」「居間」など「何とかの間」というのも、上記の理由からだそうです。
面白い。
全体をみるのではなく、一人ひとり、ひとつひとつを見るという「微」の発想から、そのひとつひとつが発する「気」を感じ、「間」ができる。
人と人の「間合い」は単なる人と人の距離ではなく、相互の気づかいの内容です。「気配」と「気配」の交流が「間」をつくるのですから、ほとんど愛情といってもいいのでしょう。
「間合い」をはかるのは、ほとんど動物的な感性に近い。
間合いに違和感を感じる相手とは、発している「気」がそもそも違うからなのだろうか?
気持ちよい、心地よいと感じるものが違うのかもしれない。
日本人の美意識は、西洋の世界観とは異なり、というか逆の発想からきていて、さらに主従の関係のない様々な要素から構成されている。
前半はその要素4つを見てみました!
やっぱり実用書と違って、内容がなかなか難しいです。
後半に続きます^^