今日は少し違ったジャンルの書籍を読んでみました。
永平寺に行ってきました
著者の川上全龍さんは、臨済宗ですので、宗派が違っているのですが。。
昨年の夏に、福井県の永平寺(曹洞宗)に観光で行ってきました。
8月だったのですが、お寺の中は心なしかヒンヤリして、気持ちがすっきりします。
涼しかったですよ。
・・・一つ心残りなのは、永平寺で座布(座禅をするときの座布団)を買わなかったこと。
わたしが三日坊主だということで、今回購入しませんでしたが、やっぱり座布欲しかったなぁ。
そもそも何故、禅に興味をもったかというと、理不尽なことに対して怒らない自分になりたかったからなのです。
でも、それは無理でしたw
禅を実践している人は、最近では世界でも増え続けているようです。
有名人では、もう亡くなられましたが、スティーブ・ジョブズでしょうか。
プレジデント・オンライン/スティーブ・ジョブズのシンプル思考と禅の思想
最近よく取り上げられる断捨離も、禅の思想と共通しています。
禅では「一掃除二信心」と言われるほど、掃除は心を整えることにつながります。
わたしは掃除大好きで、家の中がゴチャゴチャしてると発狂しそうになりますので、掃除万歳なのですが。
掃除をしないと気になるというのもまた、執着なのかと思います。
執着心をなくす。
心を整える。
具体的に禅を学ぶ機会がなかなかないので、この本で学んでみたいと思います^^
そして、いつか宿坊体験に行ってみたいと思います!!
目次
第一部 海外のトップエリートが禅に注目する時代
第一章 ビジネスリーダーが禅に取り組む時代
第二章 なぜ座禅がビジネスにつながるのか
第三章 禅は日々の生活の質を高める
第四章 日常生活に禅を取り入れる
第五章 世界に求められる共感とおもてなし
第二部 世界から注目される禅の思考
第六章 日本人が知らない禅の教え
第七章 幸せに生きるための禅の知恵
第三部 社会を変える禅の実践
第八章 今の時代に禅をどう伝えるか
第九章 私が同性婚を支援する理由
禅の意味とは
川上さんによると、禅には大きく分けて二つの意味があるそうです。
①ひとつめの意味は「座禅」
座禅――本書ではほとんど瞑想と同義で使います――はマインドフルネスの中心を成すもので、心を落ち着かせ、自己認知力や思考の客観性を鍛えることに役立ちます。海外の方には、このような禅が持つ意味について「living in a moment」と説明しています。つまり、今を大切にし、その一瞬において、パフォーマンスを最大限に発揮するためのトレーニングが座禅だというわけです。
②ふたつめの意味は「禅宗的(仏教的)な考え方」
そうした禅宗的(仏教的)な考えの根本を、私は海外の方に「no subjectivity」だと説明しています。つまり、あるがままの状態を把握するために、主観を排すということです。禅と西洋思想との大きな違いは、仏教では物事の絶対的な善悪を決めつけず、善悪はあくまで人間の頭の中の事柄、相対的なものだと考える点にあります。
出典元 川上全龍『世界中のトップエリートが集う禅の教室』
つまり、禅とは座禅のような行為を指す場合と、禅宗的な思考を指す場合があるということですね。
禅って漠然として、うまく説明できなかったのですが、ようやく意味がわかりました^^
世界平和が達成できるぞ
今、なぜ、こぞって世界のトップエリート達が禅を学びに来ているのか?
それは、瞑想により利他の心をもつことで、人間の幸福度が高まるし、成功にもつながる。
さらに、一人一人が幸せになることで、世界が平和になる。
今までの西洋式の考え方では、行き詰まってしまうことに、トップが気づき始めたからだということでしょう。
世の中の事象を有益か否かに分け、実利を突き詰めることが善であるという考え方が、20世紀のアメリカの発展を支えてきました。しかし2008年のリーマンショックで、その実践主義が壁にぶち当たりました。その時に、何か自分たちとは違う考え方が必要なのではないかと思う欧米の人たちが増えてきたのです。それで、自分たちとは違う思想や文化に目を向けるようになり、仏教的な考え方、あるいは東洋的な思想も重要ではないかと考える人達も生まれます。仏教の思想には、プロテスタント的な思想と相反する部分があります。実践主義に拠って個別事象の有益さにより行動選択するのではない考え方――仏教の言葉でいう「空(くう)(一如=自も他もない、すべては一つだという考え方)」――が求められているのです。
出典元 川上全龍『世界中のトップエリートが集う禅の教室』
今の世界情勢は行き詰まり感が半端ないですもんねぇ・・・
禅の思想が世界でフォーカスされるのも、必然的な流れなのかもしれません。
具体的に日々の生活の中で禅を取り入れるには?
では、具体的に日々の生活の中で、禅を取り入れてみたいのですが、何からすればよいのでしょうか?
私はシンプルに、姿勢がきちんとしていれば呼吸もきちんとしてくるし、呼吸がきちんとしてくるとリラックスしてくるから精神もきちんとついてくるという話をします。
座禅について、「調身・調息・調心」という言葉があります。
出典元 川上全龍『世界中のトップエリートが集う禅の教室』
まずは、姿勢を正し、リラックスすることで心を整えようということです。
これ、絶対気をつけます。
今年残りの目標にしてもいいくらい。
わたし、理不尽なことに対して怒りを抑えられないのですが、どうすればいいでしょう?
答えがありました。
感覚は拒絶するのではなく、逆に素直に受け止めるべきものです。熱いということを客観的に受け止めて、体でどういうことが起きているのかに注意を向けてみます。そこから、さらに他のものに注意を向けてみる。寒さを我慢しながら座禅をしたり、冷たい滝に打たれて精神統一をしたりするイメージがありますが、精神を鍛えることは、我慢をすることを覚えることではありません。むしろ精神統一というのは、自分の感覚を受け止められるようになるために必要なものです。
出典元 川上全龍『世界中のトップエリートが集う禅の教室』
おぉ・・・
そうなんや。
でも、そもそも自分の言う「理不尽」というのも主観的な話ですもんね。
でも、我慢しなくてもいいそうです。
むしろ、「今、わたし怒ってる」っていう感覚に集中してみよう、ということみたいです。
ほかにも、短時間でもいいので、座禅を習慣化させることの重要性が書かれています。
世界は仏教の無我に注目している
リーマン・ショックで行き詰まった西洋の実践主義(プラグマティズム)は、二元論の考え方の下に成り立っています。仏教的な考え方は、その壁を回避するものです。善悪や有益無益の判断や区別がない状態で、物事をあるがままに見られるかどうかを問題にするのが仏教です。
物事に対して主観を排して見ることが重要なのは、人間には「確証バイアス」、つまり脳が自分に都合のいい情報を選ぶようになっていて、興味がないことや反対意見に対してついついブロックをかけてしまう傾向があるからです。
出典元 川上全龍『世界中のトップエリートが集う禅の教室』
無我って一番難しい。
でも、川上全龍さんのすごいところは、仏教を科学的な根拠も示しながら説明しているところです。
脳のバイアスとは、わたしも今とっても気になる仕組みなのですが、主観を排することの難しさは、無意識にあるのかもしれません。
さらに言えば、「こういう考え方でなければいけない」と固定概念を作ること自体が、禅では避けるべき事柄の一つです。
禅は人間の本能的な部分に逆らうようなものの見方を行うため、受け身で禅を理解することはできないのです。
出典元 川上全龍『世界中のトップエリートが集う禅の教室』
常識や固定概念とは人間が作り出したもの。
物事は、違う角度から見方を変えれば、違う意味がある。
とくに、わたしのような「~すべき」人間には耳の痛い話です。
他人にまで「すべき」を強要しがちなので、気をつけます・・・
「一水四見」というのは、したがって、一つのものでもいろいろな見方があるという教えです。この見方が絶対、というものは存在しません。川の存在自体は真実ですが、それをどう見るかやどう思うかについては、どれかが正しいわけではないのです。
本当は物事のとらえ方は相対的なものなのに、自分の頭の中だけで良い悪いを決めている、というのが、普通に生きている人たちの現実です。ですから、自分の主観を取り除くき、物事をあるがままに見ようとするだけで、とたんに苦しみや怒りといったものが消えることもあるのです。そして、このことこそが仏教がその根本において目標とすることです。
出典元 川上全龍『世界中のトップエリートが集う禅の教室』
主観を取り除く・・・
アドラー心理学も同じようなことを言っています。
すべては自分が意味づけしていると。
現代人に禅を説明し、納得してもらうために、脳科学の方面からもアプローチをする川上さんは、本当に、相手の立場にたって物事を考えられる人なのだろう。というのが実感です。
身近な存在のような雰囲気でありながら、仏教や禅の、核心部分を教えてくれました。
座禅に興味がある方も、生きづらさを感じている方も、読んでみると自分の心の在り方の方向性が見えてくるかもしれません。
こちらもおすすめの1冊です。