今日は千日回峰行を達成した、大阿闍梨の塩沼亮潤さんの「毎日が小さな修行」を読んでみました。
私が塩沼亮潤さんを知ったのは、NHKの番組「SWITCHインタビュー達人達」の角幡唯介×塩沼亮潤の回を観たことでした。
とても穏やかに優しく話す様子が、想像を絶する修行を耐えてきたことで、何か一般人にはない、超越したものをもっているんだろうな、と感じさせるものがありました。
千日回峰行とは、千年以上も前から行じられてきた歴史と伝統のある修行です。
一日四十八キロの険しい道を年間約四ヶ月を行の期間と定めて九年の歳月をかけて歩き通す修行です。
出典元「毎日が小さな修行」
この人は、どういう世界観をもっているんだろう?
と非常に興味が沸いて購入した1冊です。
目次
生きるコツ
1 ぼちぼちと根気よく丁寧に
2 努力の炎を燃やし続ける
3 野に咲く花のように、そこにある
縁を生かす
4 良き師との出会いが良き人生をつくる
5 子供の躾は親の第一の仕事
6 背中で語り、背中に学ぶ
心を運ぶ
7 薫りが移るように導いていく
8 上手に生きるためのルールを教える
9 割り切って、忘れて、捨てて、許す
命を輝かす
10 神仏の喜ぶ生き方を求める
11 この世に生まれてきた理由
12 円満に生きていく
――読み進めると、珍しく謙虚モードななおたろうの登場です。
塩沼亮潤さんは、決して偉そうな態度をとるようなことはせず、親しみやすいイメージをテレビで抱いたのですが、文章を読んでも、その通りの人柄だと思いました。
4つめの章の「この世に生まれてきた理由」の、なかから。
私が気になったフレーズです。
穏やかな自分と、自我を押し通したい自分。この二つの相反する心を対峙させて自己を客観的に見つめ、己に打ち克ち、本来の自分自身と一体化することが修行の目的になります。客観的に見られないと、さまざまな迷いが生じてきます。
出典元「毎日が小さな修行」
自我を押し通さない自分になりてぇ・・・!
ほんと、価値観というのは多様であり、何が正しいという答えは存在しない。
にもかかわらず、自分は「こうするべき」「こうあるべき」という要求が非常に強いです。
それが、自分も他者も苦しめることになると、わかっていても。
ただ、理不尽なことがたとえ生じても、それは神様?仏様かな?が用意してくださった教えなのだと思えれば、すごく有り難いことなのかも。
とも思いました。
自我を忘れられない、捨てられない、謙虚な気持ちを忘れがちな時に、読み返したい1冊です。