今日は前回に引き続き、無用な心配をしない、「心配性を治そう」をテーマに続けて行きたいと思います。
ご紹介した島崎敢さんの「心配学「本当の確率」となぜずれる?」では、第二章でセレブと自分を比べて凹まない、ひとつの方法と題して、
「色んなことを、人は主観的・客観的に捉えて心配になってしまう」と教えてくれます。
平均以下でも凹む必要がないこともある
例えば、平均身長と平均年収の「平均」の見方にはトリックのようなものがあるの、ご存じですか?
ポイントは、上限の値だそうです!
17歳男性の平均身長は170.7㎝。
(学校保健統計調査-平成28年度の確定値より)
どんなに高くても身長が3メートルの人はいない。
でも、年収の上限って、身長のように、限りがないですよね?
日本人の平均給与は420万円。
高額納税者の開示制度は2006年から廃止されてるからわかりません。
なので、世界のニュースから考えてみます。
貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム」が今年に入って発表した報告書、覚えている方も多いと思います。
世界で最も裕福な8人が 保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人 が保有する資産とほぼ同じだった。
富豪「8人」の資産=貧困層「36億人」の資産
こんなに差が生じるひとたちの「平均」って、ますますわからん・・・・w
ってことです。
安心してください。
本書によると
収入の平均値よりも、少ない所に一般的な人の多くが分布しているそうです!
ホッ・・・
国税庁のサイトでも、以下確認できました。
給与所得者の給与階級別分布をみると、男性では年間給与額 300 万円超 400 万円以 下の者が 519 万人(構成比 18.3%)、女性では 100 万円超 200 万円以下の者が 513 万 人(同 26.1%)と最も多くなっている。
出典元サイト『国税庁/平成27年分 民間給与実態統計調査』
これ、知らなかったら結構凹みます!
年収の平均いってないって、自分が平均以下って、精神的ダメージが大きいです。
平均を異様に引き上げる存在がある。
だから、年収の分布で一番人数が多いのは、平均よりちょい下だったんだ~!!
テストの点数の平均と、年収の平均って、別物だったんだ~!!!
(だってテストは100点満点って上限があるからね)
島崎さんありがとう。
身長など、自然界の数値は左右対称になることが多く、図1の下のグラフのように、収入など人間社会の数値はゆがんだ形が多く見られます。
出典元 島崎敢『心配学「本当の確率」となぜずれる?』
読めば本当のことがわかる、面白い題材が、第二章にはいっぱいです。
あぁ~あるある!
たしかに、(読んでみて理解した今となっては)それって変よね?
わたしたちの認知を狂わせ、間違った判断を生じさせるもとになっているものは、数多くあります。
この辺は、前述の記事、ビジネスマンが数字に強くなるにはと強くリンクしている部分があるのではないでしょうか?
常識を疑うというか、バイアスが生じてないかチェックすべきなのです。
どうやら、わたしたちの脳は、気をつけなければバイアスが生じるようにできているみたいですね・・・
リスクを計算してみよう!
では、自分の心配事が、本当にはどのくらい心配すべきことなのか、実際に計算してみよう、というのが第五章です。
気になったのは、「授乳中・妊娠中のアルコールは危険なの?」について、実際に計算した結果です。
その過程が、めっちゃ細かいw
血中アルコールの濃度、新生児1回の授乳量、新生児の体重、泥酔状態のときとほろ酔いのときの比較、胎盤経由で栄養をやりとりしてるときの母体と赤ちゃんの血中アルコール濃度の関係・・・
・・・めっちゃ細かいw
お母さんの血中アルコール濃度がほろ酔いレベルの0.1%だったとして、妊娠中の赤ちゃんの血中アルコール濃度は約0.1%、授乳中は約0.002%。その差はおよそ50倍です。
しかし、ほとんどのお母さんやその周りの人たちは、妊娠中の飲酒と授乳中の飲酒をほぼ同列に扱い、同じように心配したり、同じように批判したりしています。
出典元 島崎敢『心配学「本当の確率」となぜずれる?』
でも、こんな風に計算しないと、本当のところはわからない。
他人への心配だって、本当はお節介というか、余計なお世話というか、自分の心配事の押し付けだったのかもしれない・・・
と深く反省するのでした。
今度、嫌なこと押し付けられそうになったら、「それってどのくらいの確率でそうなるん!?」って聞いてやろう!
一般人は、心配する割に、リスクについての計算はしないと思うよ。
やっぱり、研究者ってすごいな。とも思いました。
じゃあ、これからどうすればいいの?
大切なのは、自分でどうやったら危険を回避できるのか考える癖をつけること、そして、考えてもわからない場合は、調べたり人に聞いたりして解決する癖をつけることです。
心配はもともと主観的なものなので、捉え方次第なのです。
リスクをちゃんと計算してみる。減らす努力をしてみる。それでもダメならいっそ考えるのをやめる、というのも人生を楽しむ秘訣なのかもしれませんね。
出典元 島崎敢『心配学「本当の確率」となぜずれる?』
つまり、わたしの今後の方針としては
①心配になる→どのぐらいのリスクか計算を試みる→わかる→今後の方針を決めるパターン
②心配になる→どのぐらいのリスクか計算を試みる→わからない→いっそ考えるのをやめるパターン
になると思われます。
自分の人生に責任をもちたいなら、無責任に心配して落ち込むのはやめよう。
心配なら、クソめんどくさい計算をするしかない。
科学者とか、研究者とか、自分とは世界の違う人と思っていましたが。
こんなに実用的に、人間の生活に密接に関わり、大切なことを伝えてくれるなんて有り難い・・・
心配性を内側からアプローチする本は、たくさんありますが、外側からアプローチするのは珍しい!
心配する心を異常なのではないか?と心配するより、心配する対象を客観的に分析してみよう!という新しい試みのように思えました。
ユーモアに溢れて読みやすく、読んでいて楽しい1冊でした♪
では、また~!!
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