昨日に引き続き、今日も加藤諦三さんの『「やさしさ」と「冷たさ」の心理』について考えてみたいと思います。
必要以上に人の目を気にしてしまい、自分が本当は何を欲しているのか、わからない。そのように感じる人は多いと思います。
では、なぜ、そのような感覚が身についたのか?
それは、要求の多い親に育てられたため、小さい頃、甘えの欲求を完全に抑えなければならなかったから。
そのパターンを、大人になった今でも手放すことができないから。
ということでしたね。
では、どうすればいいのか?
それは、ありのままの自分を受け入れてくれる人を見つけること。
・・・というのが、昨日までの結論でした。
では、ありのままの自分を受け入れてくれる人を見つけることについての注意点をみていきたいと思います!
自分に本当に必要な人を見分けるのは難しい
甘えている人とか、劣等感の強い人というのは、本当は自己実現している人とつき合うのが大切なのである。自己実現している人によって、ありのままの自分を受け入れてもらうことが、その人の成長には必要である。
自己実現している人は、岩が固いということを受け入れ、木が緑であるということを受け入れるように、つき合う人の幼稚さを受け入れる。にもかかわらず、甘えて劣等感の強い人は、自分を拒否する人のところに行ってしまう。
出典元 加藤諦三『優しさと冷たさの心理』
本書では、自己受容型と自己拒否型に分けて説明がされています。
劣等感の強い人の成長に必要であるのは、自己実現している人(自己受容型の人)である。
にもかかわらず、同じように自己拒否型の人に魅力を感じてしまう、矛盾を説いています。
自己受容している人は、他人の劣っているところを、批判しません。
対して自己拒否している人は、他人の劣っているところを批判し、非難します。
なぜかというと、自分の劣等感を隠したいから、です。
そして、自己拒否している人は、同じように自己拒否している人と一緒にいることで、一時的に、自己無価値観が癒やされたような錯覚に陥ります。
でも、それは、とても危険なことです。
一時的に、自己拒否型の者同士があつまり、他人を批判することで、快感を覚えたとしても、傷ついた自尊心が回復するわけではない。
いじめ問題も、根底にあるのは同じなのではないか、と思います。
潜在的に、自分を認めることが出来ない者が集まり、他者を攻撃することで安心し、快感を覚える・・・
本当に、いじめの加害者をなくす方法は、いじめなどしなくても、自分には価値があると信じさせてくれる存在なのではないか、と思います。
このように、自分が本来必要としている人を見分けるのは、とても難しいです。
私は人間と他の動物を区別する特徴は、不思議さだと思っている。
肉体的にマゾヒズムとサディズムが共棲するように、心理的には尊大な人と自己非難する人が共棲的になることがある。それによって、お互いに心理的な安全を獲得しているのである。
出典元 加藤諦三『優しさと冷たさの心理』
ほんと、わかってるのか、わかってないのか。
ダメだと思うものに魅力を感じてしまうのも、人間の不思議さ、ですよね^^;
でも、もう、そんなことで悩みたくないよなぁ・・・
けっこうしんどいもん。
自分に必要な人を見分けるのは、とても難しい。
とにかく、他人に対して批判的なことを言う人に近づくのは、自分が傷つくからやめておこう。
最終的に、気をつけるポイントは?
自己不全感から心の落ち着きを得たいと思ったら、次のようにすることである。
くり返しになるが、まずは自分は被害者であったと認めること。禁じられた感じ方の解放である。そして、自分は立派でも何でもなく、肉体的に大人になってもまだ普通の子供の弱い面を持っていることを認めること。次に、自分を責めたり、罰したり、自分を卑下したりすることで、他人に立派な人と認めてもらおうとするようなことを止めることである。
話が横道にそれたが、次に、他人の不快感情に責任を持つ必要がないことを、自分に言い聞かせることである。
自分のやりたいことを自分に許すことである。他人のために尽くすこと以外できなくなっている人がいる。しかし、それも本人が自分で自分をそうしているのである。自分のためにお金を使うことを、自分に許すことである。自分のためにお金を使いながら、「これもみんなもとをたどれば家族のため」などと言い訳をする必要などどこにもない。
出典元 加藤諦三『優しさと冷たさの心理』
なんか、当たり前のことだろうけど、自分にたくさんのことを禁止している人って絶対多いですよね!?
たまたま、一昨日購入した本で、同じ事が書いてありました。
新しい商品を売りたいときは、客に大義名分を掲げるといい。
たとえば、食器洗い乾燥機の購入を迷っている主婦には「食器洗いの時間を省けるぶん、子供とのコミュニケーションを増やせる」という大義名分を示すと、“ウチには贅沢かも”という罪悪感は心の片隅に押しやられてしまう。
「自分が欲しいのではなく、みんなのために必要なのだ」と思い込むことで、商品の購入=家族の団らんということになり、手に入れたい意欲が断然増すのである。
それほど必要もないのに新しい商品を買うのは、少なからず罪悪感がつきまとうものだ。
出典元「なぜか人ダマされる 心理のタブー大全」
自分のためだけに、そんな物買えないよ~!
って思ってる人が、多いから、こんなネタがあるってことですよね(笑)
なんか、「自分へのご褒美に」と高級バッグ買う人おるけど、欲しいなら素直に買えばいいやん!ってことか。
自分の感覚に疑いを持ちつつ、手にした加藤さんの本は、わたしにとって必携のものになりそうです。
これ、わたし、繰り返し読まなきゃいかん本です。
でも、同じような感覚の人が大勢いるのかもしれない、と思って少し安心もしました。
もう、必要以上の禁欲生活は止めよう!
自分の気持ちを大事にしよう!
と、心に誓いました。
今の自分にピッタリの本に出会えてよかった!!
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