今日は、普段からわたしが悩んでいる「人間関係で悩みたくない」がテーマです。
無理ですけど。悩みはなくならないでしょうけど。
前回はアドラー心理学を読んでみました。→こちら
アドラー心理学では、これまでの人生はこれからの人生をどう生きるかには影響を与えないという立場をとります。
影響を与えるという考えは、普遍的ではない、といえばいいのですかね。
不幸な経験をしたとしても、その経験をどう意味づけるか、というのは個人が決定する。
という考え方です。
なんか、ちょっと、難しいですけど・・・
とても、大人な考え方だと思いました。建設的ですよね。
決めるのは、あくまでの自分の意思です!
ただ、価値観に影響するものとして「遺伝」「環境」(親子関係(家族価値・家族の雰囲気)・兄弟関係)が挙げられています。
もし、「何か」によって自分の今の生き方や行動が決定されていると考えたい人は、そのように考えることで、自分の責任を曖昧にしたいのである。
というのが、アドラーの考え方です。
でも、わたしは「過去の経験をそのように意味づけするようになった原因は存在する」と思っています。
そうでなければ、そんなアドラー心理学のような建設的な考えに、辿り着ける気がしない。過去の経験は、そのように意味づけする原因ではなく、影響因ですよ~って言われても・・・わかるけど・・・そんな断言しないでください・・・
・・・なんか、モヤモヤする!!!
そこで手にした1冊です。
専門的な分野でないので、いろいろ間違ってたらすみません。
加藤諦三さんの『「やさしさ」と「冷たさ」の心理』です。
なぜ、周囲の自分に対する反応に、自分の感情が左右されるのか?必要以上に人目が気になるのはなぜか?
本題に入りますね。
対人関係で、わたしはなにかモヤモヤしたものをずっと抱えてきた気がします。
自分の人生を生きていないような感覚といえば大げさですが、迎合癖があり、そのことに気づいていなかったし、大した問題でないと思っていました。
けれど、人間関係が破綻すると、その度に「このままではいけない。何か問題があるはずだ」という思いが大きくなるのはわかりました。
なんか、軸がずれているような、変な気分になることがあるんですね。
(些細なことでも)判断基準が、本当に純粋な自分の気持ちなのか、確かではない、という感じです。
十分に愛された者は、周囲を信頼し自分を信頼することができる。十分に愛された者、甘えの欲求を満たされた者は、自分を信頼し独り立ちできる。周囲の自分に対する反応に、自分の感情が左右されることはない。
逆に、小さい頃、親から感情を押しつけられた子供は自分の内面の感情におびえる。親から感情を押しつけられた者は、小さい頃、甘えの欲求を完全に抑えなければならなかった。むしろ、小さい子供のほうが、親の甘えの欲求を満たすための手段となっていたのである。
出典元 加藤諦三『優しさと冷たさの心理』
人の目が必要以上に気になるのはなぜか?
それは、上記のように、子供が親の顔色をうかがうような感覚が染みついて忘れられないからだと思います。
わたし、結構、第一印象がいい方です。
自分でいうのもアレですが。
なぜかというと、人の目が気になるからです。
そして、結構メンタルの弱い人に依存される率が高いです。
学生の頃から。今でもそうです。
初めのうちは、相談にのったり、励ましたりしていることに、充実感を覚えるんですけど、だんだん、重たくなってくる。
相手に、「なんでもっと自分の気持ちをわかってくれないんだ!」と責められた日に、重さに耐えられなくなり、関係が終わります。
(だからわたしの友人は凄く少ない)
依存されると、息苦しくて、死にそうな気持ちになります。
相手を責める人は依存性が強いそうです。
うぇぇ!!!逃げたい!!!
怖いーー!!
さよなら~~ってなります。
では、どうして、依存されるのか?
友人に相談すると、「それは君が優しいからだよ」と的外れな回答が返ってきます。
ちがう。
そんなんじゃない。やっとわかりました。
自分の正直な気持ちを晒すのが怖いからだったんだ。
嫌なら嫌って正直に言えれば、こんなに楽なことはないのに。
私は父といる時、自分の自然な感情に自分をまかせるなどということは、不可能であった。私は自分の自然な感情を抑圧した。
抑圧というのは、どのような場合に起きるのだろうか。まず相手が神経症的であること、その神経症的な人間にこちらが依存していること、このような場合に起きる。つまり、この関係においては、相手の要求が大変大きいのである。「お前が感じるように感じてはいけない。私が感じるように望むことを感じなければいけない」という要求である。
出典元 加藤諦三『優しさと冷たさの心理』
・・・無茶いうなや!(笑)
上記のような経験を、子供の頃に繰り返ししてしまうと、大人になって、いろいろな人に接しても、同じようなパターンの反応をしてしまう、というのが根深い問題なのです。
結局・・・
共依存状態になるまで気がつかなかった、不健全な人間関係を築いてしまう自分にも問題があるんだということに気づきました(汗)
じゃあ、一体どうすればいいの?
自分の肉体的、知的な弱点を相手に対して恥ずかしいと感じない関係が、安らかな関係なのである。そういう関係においてこそ、人は心理的に成長できる。
出典元 加藤諦三『優しさと冷たさの心理』
へぇ~!!
・・・幸いなことに、わたしは素敵なパートナーに巡り会えたと思っています。
正直な気持ちを晒しても、きっとわたしを嫌いにならないだろうと思える相手です。
依存性の強い人は「わたしの思うように、あなたも感じるべきだ」という無言のプレッシャーをかけてきます。
自分にも、そういった面があるのでいろいろと考えさせられました。
人間関係は、科学反応のように相性があります。
共依存関係を作り出してしまえば、それは、悲劇です。
あぁ、なんか思い出しても気分が悪くなりそう・・・
それだけに、心の底に「自分は望ましい人間ではない」いう感じ方を持っている人は、自分の心の底の感じ方を刺激されない人々と接する必要がある。
とにかく、自信のない人は、自信のある人と接する心がけが必要である。
出典元 加藤諦三『優しさと冷たさの心理』
アドラー心理学のように、強い気持ちで建設的に人間関係や、自分の人生を築いていくのが、合っている人もたくさんいると思います。
ただ、わたしはどうやら、「つき合う相手を慎重に選ぶ」という方法が、現実的に自分にあった対処法だと思いました。
うーん、今日はなかなか重いテーマでエネルギーを消費しました!
では、また~!!
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